死の壁【養老孟司 / 世界一受けたい授業】
こんにちは。今日は、最近YouTubeでおすすめに上がってきた動画で、考えさせられるものがあったのでシェアしたいと思います!
養老孟司氏「死の壁」
「バカの壁」「死の壁」で有名な、東大名誉教授で解剖学者の養老孟司氏が”世界一受けたい授業”に出演された時の動画です。
※ 9:02〜ホラー映画「呪怨」の映像が数秒流れます。苦手な方はお気をつけて!!
動画が消えてしまう可能性もあるので簡単にまとめます。
”日常”から消えた死
人間はいつでも死亡率100%。ですが・・・
養老氏によると、現代では、生活の中から死が遠ざかり、「非日常」として捉えられています。戦後すぐの頃は、まだ東京でもほとんどの人が自宅で亡くなっていたのに対して、現在ではほとんどの人が病院で死を迎えます。
また、お葬式の慣習も変わってきています。村総出で行なっていたお葬式も、今は企業的に行われています。交通被害を表す看板も、もはや「死亡数2か、少ないな」とか、そうやってただの数字として受け止めてはいないでしょうか?
ペットを飼っていらっしゃる方に機会があるくらいで、実際に死を目にする機会はかなり減ったと言えます。
死ぬことは、生きていることの一部
死の定義とは
養老氏によると、生きている間の、始まりと終わりを生まれる、死ぬと言っているだけ。生きると死ぬは対照ではない。実際に目の前にいる人が、いつ死んだのかは本当は分からない。脳死判定ができるようになった今、法律という文字では死を定義できますが、実際その人がいつ”死んだ”のかは決められません。だから、昔は遺体をしばらくそのまま自宅に置いておいたのです。
そして、各自治体で土葬が禁じられ火葬が一般化したことにより、死はますます私たちのリアルから切り離されるようになりました。
また、お産もほとんどが病院で行われますよね。自宅に産婆さんを呼んで、お産を目の当たりにすることはあまりありません。立会い出産も選べますし。生と死を身近に感じる機会は、昔よりもかなり減っていると言えます。
意外なアレも死を非日常に
今はトイレは水洗が当たり前ですよね。昔は肥料として使うために、排泄物を溜めていた、と言うのを若い人は知っているんでしょうか、、?私は、祖母の家が改築前にギリギリでボットン便所(お食事中の方すみません)だったのでまだ記憶に残っています。携帯のストラップを中に落とした瞬間は、むしろ今でも忘れられない・・・(大きめのスヌーピーが、ヒューーーーって・・・)
汚いものはすぐにどこかへやれる。日常からどんどん”汚れ”が排除されていっているんですね。
子育てブログに取り上げたわけ
作れるモノ=簡単なモノ
ここからが、なぜ私が子育てブログにこの動画を取り上げようと思ったか、そのきっかけとなる部分です。
ドイツから取り寄せられた、実際の人間の体を使って標本にした体を見ながら番組が進んでいきますが、その中で養老氏がとても印象的なお話をされました。
機械やデータを簡単に作れる世の中で、人間はものを割と簡単に考えがちになります。細かく走る神経や筋肉の標本を見て、ようやくその複雑さや神秘を感じる出演者たちですが、それをいざ人工的に作ろうとしても作れないんです。大腸菌すら人工的に作れないんですよ、人間は。と養老氏。
なぜ殺してはいけないのか
いのちは元に戻らない
機械やモノに対して、人間はややこしすぎて作れないんです。複雑すぎて作るどころの話じゃないと。機械やモノって、壊しても戻りますよね。もしくは代わりをまた手に入れればいい。でもね、人間の体、生き物、そんなに複雑なものを、”元に戻せない”感覚が現代の人には圧倒的に足りないんじゃないのか。
いきものを”殺す”=”壊す’のに、100円で買ってきたカッターナイフで首切っちゃえばいいけど、それって同じ100円じゃ元に戻せないよね。
なるほど。。。
おもちゃを壊したら新しいものをただ買い与えればいいのか?モノが溢れる現代において、どうやってモノとの付き合い方を子どもたちに教えていくのか。
考えさせられます。
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